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COLMUN
元テレビ朝日台北所長の海外放浪記 
四方見聞録
~摩天楼から一膳飯屋まで~
~世界が、人が、そして心が見える~

「ここはどこの田舎街?!」
中国青年が見た台北①

台湾

2019.04.08

台北市内古い町並み

「ここはどこの田舎街?!」

日本に留学中の中国青年、Mが驚きと不満を隠しきれず口走った。旧臘、初めて台北を訪れるMに頼まれ案内役を仰せつかった。

Mは江蘇省江陰市の出身。江陰は無錫の北、長江に面した要衝の地で、行政上は無錫市に属する。国共内戦時には江陰渡河が共産党勝利の要因となった。また鄧小平の改革開放後、中国でもっと最も豊かな農村と謳われた華西村は江陰市に属する。

Mは大学で音楽を修め、卒業後は上海で数年間、売れない歌手をしてから何を思ったか30歳を過ぎて留学、専門学校で日本語を学び東大を目指している。来日2年余、既に北は北海道、南は沖縄まで渉猟、念願の台湾を今回初めて訪れた。

「捷運(台湾の地下鉄、高架鉄道など)も上海の地下鉄ほど路線が多くないし、建物もボロボロ。中国だったら三線、四線都市だよ」

中国では都市を人口、経済力などから一線から五線までランク付けしている。

一線 上海、北京、深圳、広州の4市
新一線 成都、杭州、重慶、武漢、南京、無錫など15市
二線 昆明、大連、厦門など30市
三線 珠海、鎮江、海口、揚州など70市
四線 玉林、衡水、韶関、吉林など90市
五線 七里河、海西、塔城など129市

Mが青春時代を過ごした上海は一線、故郷の無錫は新一線である。三線、四線となると日本では馴染みの薄い都市ばかり。台北はその程度にしか感じられないと言う。

大陸遊学中の80年代半ば、貧しく不自由だった大陸の中国人にとって豊かで自由な台湾、香港は憧れの的だった。いつになったら追いつけるのか分からないほど圧倒的だった経済格差。そして大陸には今もない自由、♪ないものねだりの子守歌~♪(中原理恵「東京ララバイ」より)どころではなかった。

遊学中、恩師から極秘で懇願され、生き別れになった父親を台北に訪ねたことがあった。両岸は断絶、台湾は戒厳令下の時代である。桃園空港から電話をかけると、対応した恩師の異母弟は大陸からのスパイではないかと危惧して待ち合わせ場所を指定してきた。そして服装、容貌の特徴などをお互いに確認。ようやく台北駅前のヒルトンホテルで面会、とスパイ大作戦の一齣のような大変な緊張感に襲われたことを昨日のことのように覚えている。そして帰りには米ドルと持ちきれないほどの生活雑貨を託されたも。

今世紀が始まる直前から3年間を台北で過ごしたが、80年代と比べれば捷運など公共交通機関の整備が進み、台湾の名物だったバイクの大洪水も姿を消した。しかし、この20年来、台北の発展のスピードは大陸の諸都市には比べるべくもない。「実践三民主義!光復大陸国土(三民主義を実践し、大陸の国土を取り戻す)!」とのの見果てぬ夢を掲げていた蒋介石時代、国民党、国民政府は台湾を仮住まいの地としか捉えず、社会資本整備はおざなりにされ続けた。蒋経国が実現した民主化、そして2000年の政権交代以降、国民党と民進党は経済政策よりも「台湾民主化」の本家、正宗争いに今なお明け暮れ、都市としての発展は大陸に大きく落語してしまった。

世界的な5つ星ホテル・ブランドは日本からはオークラ、香港からマンダリン・オリエンタルなどがこの10年間にオープンしてはいるが、その数は北京や上海、香港とは桁違いに少ない。ビジネスホテルも台湾資本がサンルートの看板を掲げているくらい。自由旅行用の安宿は築何十年か分からぬ水回り最悪のボロビルが殆どだ。外資系のホテル、特に日本式のコストパフォーマンスが高いビジネスホテルが開業すれば大入り満員間違いなしと思うのだが、台湾の経済低迷のためか全くその動きもない。

2016年、蔡英文民進党政権が誕生してから、大陸は政策的に台湾行き観光客を絞り込み、台北の街角で見る大陸観光客は激減した。市内の秩序と衛生のためには歓迎すべきことかもしれないが、爆買い大陸観光客の激減で台湾観光業界は青息吐息。昨年11月の統一地方選挙で蔡英文民進党が自滅したのは大陸政策の失敗が一大要因で、敵失から躍進した国民党系の地方首長は大陸観光客増を図り、大陸に秋波を送り続けている。

「もう台北には二度と来ない!」

Mは吐き捨てるように言った。台湾は自らが大陸観光客にどう評価されているのか真摯に検討しなくてはならない。大陸は来年の台湾総統選挙に向けて、あの手この手の統一戦線工作を仕掛けてくる。大陸観光客の訪台に対する緩和は統一戦線工作の中でも極めて有力な施策になろう。今年の大陸観光客訪台は間違いなく増え、来年の総統選挙で蔡英文が敗れれば更に激増させることだろう。しかし台北が三線、四線と言われているようでは台湾に大陸観光客のリピーターは現れない。台湾は自らの足元を今こそ、しっかりと見据えなければならない。

甘粕代三(あまかす・だいぞう)
1960年、東京は隅田川の畔で生まれる。早大第一文学部在学中に中国政府給費留学生となり大陸へ2年遊学。東京新聞記者、テレビ朝日台北・マニラ支局長、サンデープロジェクト・チーフディレクター、朝まで生テレビ・プロデューサーなどを経て売文業。アジアを中心に世界各地を流浪、日本、香港、台湾、大陸で時事、競馬評論を展開中。